これで飯野、どうでも飯野。

毒親・女子校育ちの24歳。もうすぐ無職。麦酒を片手に好き勝手書きます。

最後に残るのは言葉

杏子だよ。
最近くらーい記事が続いていたので、知り合いにちょっと心配されちゃったけど、わたしはげんきげんきー、んー、オッケー、気にしないで。世間で言えば多分わたしはリアルに獣、じゃなくてリアルに充実ってやつだから。
上司とたまにギスギスな雰囲気になりながらも仕事には毎日行ってるし、母親ともまーそこそこ普通だし、友達いないって言ったけど、取引先の女の子に誘われてごはん行ったりもするし、来月からは習い事も始まるし、バーのアルバイトも問題なく続けられそうだし、好きなひとからは毎日連絡が来る。

わたしの場合、自分が充実してくると、持ち物を整理しようかなという気になってくる。過去にすがらなくてもいいかな、というか。持ち物を少し減らしたところで、自分のこころは減らないぞ、っていう気がして。
逆に、調子が悪い時にはなんでも溜め込む。よかったことやうれしかったことはいいけれど、悲しかったこと、苦しかったことも、モノにしてとっておく。負の感情をもエネルギーにしないと、生きていけないような気がするのね。よく、悲しみに打ちひしがれている子に対して「悲劇のヒロインぶってる」「不幸自慢乙」なんていう陰口が叩かれたりするけれど、実際そういうところはあると思う。でも、それすらできなくなってしまったら、その子はほんとうに潰れてしまう。生きていくためには、悲劇のヒロインぶって乗り越えていけばいい、どんなに陰口を叩かれようが、きみは美しくて可哀想なヒロインなのだ、そのくらいのふてぶてしさは持つべきだ。ただ、そういうことでしか自己を愛せない沼にはまってしまっているのなら、それは脱するべきで、でもそれにはきっと、誰かの力が必要なんだ……

わたしは最近、思い切っていろいろなものを処分している。勿体ないと思う。でも、昔、母親に集めていたものをすべて捨てられたことがあるので、また知らず知らずのうちに好きなもので溢れていく楽しみも知っている。お金で買えるものなら、きっと、その気があればまた買うんだ。と思いつつ、本とCDだけは処分できない自分がいる(笑)暫く読まない/聴かないであろうものは処分したけれど。
その他に残ったものは、行ったライヴや映画の半券と、人から貰った手紙だ。半券は、ブログや日記で行ったことが残っているから、実際捨ててしまってもいいのだけれど、入っている箱が小さいからなんとなく残した。大事なのは、手紙。これはどうしても捨てられないし、一生捨てないと思う。津波に流されてしまったらどうしようもないけど。

手紙は良い。高校生の頃、授業中に板書するふりをして、ルーズリーフびっしりに書いた手紙を友達と送り合っていた。本当にとりとめのない、日記のような手紙。恋の悩みも多い(笑)相手の子から貰ったものは、今でも全部とってある。何十枚、いや、おそらく百枚超えている。そしてそれを、今でもふとしたときに読み返す。いつでも読み返すことのできる場所にしまってあるのだ。

わたしはいま、好きな人とそんな遣り取りをしている。なかなか逢えないけれど、言葉の遣り取りはわたしのこころをあたためてくれる。
普段は電波に頼っているけど、たまには手紙も書こうかしら。津波をおそれなくても、データとして自動的に蓄積されるのは便利だけれど、気分や時の流れによって変わる手書きの文字も良いものだものね。ああ、新しい萬年筆早く届かないかな。