これで飯野、どうでも飯野。

毒親・女子校育ちの24歳。もうすぐ無職。麦酒を片手に好き勝手書きます。

丹ちゃんのこと

わたしはいま、とてもしあわせだ。
それを伝えたくて、そしてわたしのこの時めきを理解してくれるのは彼女しかいないと思って、高校時代の恩師に手紙を書いた。彼女は現国の先生で、高校三年間、なんだかんだとなかよくしてくださった。読んだ本の感想を一方的に書き綴って渡したり、創作の小説を読んでいただいたり、そうだ、『こころ』の先生とKのやおいボーイズラブ)ものを書いて感想を求めたこともあった(笑)
先生は博識で、授業が面白くて、自分の価値観を明確に持っていて、けれど、授業でのお話の節々から、深く思い悩んだ時代があるのだろうと思われた。勿論、それが何かを聞くことはできないし、先生もそれ以上は語られず、ミステリアスな雰囲気もまとっていた。

わたしは昔から、現国だけはできた。現国だけは学年順位一桁を落とさなかった。まあ、あれは勉強せずともできるものだから、要するに、勉強をしていなかったということになるのだが。
だから、現国なんて教わる必要がないと思っていたし、漢字テストして、生徒に朗読させて、感想文書かせて、上っ面だけの要点をまとめるだけの授業はかったるくて仕方がなかった。感想文だって、真剣に書いたって先生の日付印が捺されるだけだし、テキトーにそれっぽいこと書いておけばいいと思っていた。

でも、この先生は違ったの。
文章の長短に関わらず、書いた文章には真剣にコメントを返してくれた。授業も、ディベート形式というか、NHK真剣10代しゃべり場的なもの(笑)が多かった。そして、どんな意見でも尊重してくれた。カリキュラムが決まっていない選択の授業では、いくつかの文学作品の中から、やりたいものを生徒に選ばせていたし、自分から思わず参加したくなるような授業を毎回考えていた。今まで、授業に参加しなかったギャル系の子たちにもそこそこ人気があったんだ。
そして、何と言っても、授業中に発せられる先生の一言一言に重みがあって、はっとさせられることが多かった。

わたしはそれまで、文学部に入って、なんとなく国語の教職課程を履修する気でいたのに、その先生が現れたことで、とてもじゃないけど無理だと思った。国語の教師は、いろんな経験をして、人生の酸いも甘いも噛み分けたうえで、生徒をより良いほうに導いていくものだと、そんな先生が理想的なのだと思ったからだ。人生を教えるのが国語の教師なのだと。しかし、そんなことを、自分ができるとは思えなかった。担当教科が国語の高校教師なんて、どうせ期待されていないだろうし、子ども嫌いだから担任になりたくないし非常勤がいいな~なんて考えていた自分は甘かった、甘すぎたのだ。

でも、今なら思う。わたしは、自分に逃げずに、彼女を目指して教師になろうと努めてみるべきだったかもしれない。わたしは理想的な大人に恵まれて、いろんなことを教えていただいて、将来も期待してもらって、つらくなったら甘えさせてもらって。けれど、わたし自身はそれを誰にも還元できていない。
わたしも、いつかきっと、誰かに良い影響を与えられる大人になりたい。大人なんて信じられない、と絶望しているわたしのような子どもが、安心して心を預けられる存在になりたい。