これで飯野、どうでも飯野。

毒親・女子校育ちの24歳。もうすぐ無職。麦酒を片手に好き勝手書きます。

ミュラとアドニス

ゆとりーとラインに乗って、高校時代からお世話になっている画家の先生の個展、それに際してのパーティーに出かけた。
ゆとりーとラインというのは、名古屋市東区守山区を走る、日本唯一のガイドウェイバスの愛称である。高架に作られた専用レーンを走るだけの普通のバスに見えるが、そのレーンは特殊な構造になっていて、手放し運転でもハンドルが勝手に動き、自動的にカーブに対応する謎の乗り物。相当金がかかっていると思われるわりに、利用者数が少なすぎるので、採算とれていない気がする。乗り物好きのひとは是非乗ってみてください、と言いたいところですが、正直かなり地味なのでどうかな……

個展のパーティーに、先生は快く迎え入れてくれたが、普段、盃を酌み交わすメンバーが揃わず、ひとりでワインをあおる。何故だか、同世代も全然いない。今年は予定が合わずに来ないのだという。 けしからん。
近寄ってきてくれたひとがみんなお酌してくださるので、どんどん受ける。可愛いね、と言われて調子に乗る。「先生のモデルさんですか」という質問を、通算何十回目かに受ける。おっとり系丸顔で、若干ふくよかで、出るところばかり出ている身体をしているからそう見えるのかもしれない。西洋絵画の裸婦にありがちなあれだ。
わたしがあまりに飲むので、唯一の知り合い(下戸)が止めに入るが、「お酌の誘いを断るのは仁義に反する」とか何とか言ってどんどん頂く。次第に自分が酔ってきたのは判っているが、困ったことに顔には出ない体質なので、傍から見てもそうと判らない。
おいしいワインも、深みのあるリキュールも、ジュースのようなお酒も凡て胃に注ぎ込む。誰かが自棄酒と言う。知るか。ほら、わたしのグラスが空になる前に酒を持ってきたまえ。 そのうち手酌になる。いよいよだめである。自分の周りにワインの瓶が何本も空いている。わたしが空けてしまったという。そのような気もするし、そうでもない気もする。

酔う前に先生が話してくれたことがある。
「僕はギリシア神話をモチーフにして絵を描いているから、『物語に魅せられて』という表現を新聞社のひとに使われるけれども、そうではない。画家というもの、物語に魅せられてはいけない。物語は単なるモチーフであり道具であり、その題材を絵画という分野でいかに表現するか。画家の仕事はそれに尽きる。魅せられて、という言葉は聞こえがいいから使いたがるひとは多いけれども、画家にとってはきっかけでしかない。目的とは違う」と。
これは覚えておかねばならないと思ってインプットしておいたから、酔っても無事だった記憶だ。こんなに素晴らしい画家の先生の教え子なんだから、わたしも画家のはずである。絵は下手だけど。

そのうちに昔からの知り合いが来る。皆、新婚及び、子供が生まれたばかりのアラフォー男性である。結婚どころか、他人との共同生活に向かない人間だろうと思っていたのに、皆結婚してしまった。案の定、結婚生活においての愚痴を聞かされる。どこまでが惚気の裏返しで、どこからが本音なのかわたしには想像がつかない。
そのうち皆、家庭があるので帰ると言い出し、またわたしだけひとり取り残され、寂しい思い。少し前までは、終電を逃してしまうくらいまで皆で飲んだのに。

しかし、家に帰ってからいろいろ思い出してみると、わたしは酔いに任せて、失礼なことを沢山言った気がする。失礼なことというより本音である。わたしは酔うとよく笑い、声が大きくなり、言葉はキツくなる。これが自分の本性であるかと思うと悲しい。しかも、相手も酔っていれば多少は慰められるが、今日はそうでもない。酒を呑んでいい気分になった後、ひとりで反省会をして落ち込むのは何とも嫌なものだ。だったら飲まなければいいのだけれど、その場はたのしい、たのしくてたまらない、から質が悪い。

そんなわたしの為に居場所を用意してくれる周囲は、何と優しいのだろうか。大切にせねばならないと思う。明日の朝、酔いが覚めた状態で感謝のメールを送ろう。

……と、ここまで書いたところで、今日着ていった服(MARC BY MARC JACOBSのラジオウェーブ柄ワンピ、わたしの手持ちの洋服の中では2番目に高価)の裾に口紅がうっすらついてしまっているのを見て、があんとショックを受けながら、食器用洗剤で叩いた。落ちた。よかった。
呑む場に口紅なんぞつけていくべきではないと思った。酔うと転ぶのでヒールは履かないようにしているが、これで口紅も避けるとなると、どんどんオッサン化する。つらい。