これで飯野、どうでも飯野。

毒親・女子校育ちの24歳。もうすぐ無職。麦酒を片手に好き勝手書きます。

自分を受け入れるべきは自分

ここ数年の記憶を掘り返し、美化された思い出を取り出して日に翳してみれば、それはもう酷いもので、自分を傷つけまいと綺麗にコーティングして胸の中にしまい、時々取り出してはうっとりと見つめていた自分は何だったのだろうと哀れになる。
けれどもわたしにも悪いところは存分にあったのだし、それは自分の弱さの所為であるのだから、自分を変えていかねば同じことを繰り返す。
いろいろ考えつつ、こう落ち込んでいても周囲を不快にさせると思い、取り敢えずの空元気を出してみたが、空元気ということは自分でも気がついていて、それでも、中身が空っぽでもいいから元気を出さなくてはいけないと、誰かに言われているような気がして、だから今は元気のつもりでいる。なんてったってアイドル、恋をするにはするけど、インタビューならノーコメント。いや、何を言っているんだわたしは、ともかく、楽しければいい、いい、いや、よくない。

あ、前段落で打ち消し線を引いたところは、このあたりが自分の悪いところかなと思った箇所。「認知の歪み」を検索して真剣に読んでみたら、自分に当て嵌まりすぎていて笑った(笑えない)。

思い返せば、中学生の頃からブログには、強くなりたい、強くならなければならない、ということを何度も書いていた。それは父親がいなくなったせいで跡継ぎ長男のように育てられるようになったことや、妹の面倒をしっかり見てやらねばと思ったことも関係しているのだけれど、何と言っても母親との関係に悩んでいたからだろう。
そして、10年経っても「自分の弱さ」ということを毎日考えている。強さや弱さといった言葉の中に隠れた自分の望みは何かと突き詰めて考えれば、「自分を一人の人間として受け入れてほしい」ということで、その対象は、母親や恋人なのだ。母親や恋人との関係において、わたしの思考や意見を尊重されないのは、わたしが能力不足であるからなのだと思っていた。「いい子にしていれば(言うことを聞いていれば)、いつかきっと愛してくれる」と信じていた。

わたしをそう思うように追い詰めた、また、そう思うわたしを利用したことについては許せないけれど、わたし自身が低すぎる自己評価に甘んじて、自己主張することを避けて相手の顔色ばかり窺ってしまったことで、関係の不適切さをエスカレートさせてしまったところもあるのだろう。
母親は、離婚したときに「離婚なんてものは交通事故と一緒で、乗り合わせた車が悪いのだから、結婚は懲り懲りなんて思わない」と飄々としていたことを思い出す。わたしは、車に撥ねられても相手に申し訳なく思ってしまうような性格なので、そういうところだけは母親を見習おうかと思う。

今年は節約の年として、自分への誕生日プレゼント(笑)は無しと決めていたが、あんまりにも気持ちが晴れないし、どうしても手紙専用の万年筆が欲しくて、そして極黒を使いたいから、もう、買う! 買うんだ、プラチナ#3776センチュリーのミュージック!!!! はあっ、はあっ(興奮)
美しい字が書けるように練習して、すきなひとにお手紙を認めるの。出すあてはないけれど。

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 キョンキョン貼ろうと思ったんだけど、ごめん、おしりに誘惑された。可愛くておしりの大きい女子は正義! あ、わたしのおしりは大きすぎるのでアウトです。