これで飯野、どうでも飯野。

毒親・女子校育ちの24歳。もうすぐ無職。麦酒を片手に好き勝手書きます。

たわけってやつ

昨夜は良い心持ちで、また、新幹線の中で空けた空きっ腹ビールにもほろ酔いして、上機嫌で帰宅し、妹に楽しかった旨を捲し立てた後、風呂に入って髪を乾かすことなく寝たみたい。
今日も度々口許が緩んでいたらしく、妹に「何にやにやしてるの、昨日の思い出し笑い? うぜえ」と言われました。うぜえ、だって。お姉ちゃん悲しいよ。妹には社会人の彼氏(わたしと同い年)がいるのですが、休みが合わず会えないとこぼしております。それにしたってうぜえはないだろ、うぜえは!
昨日は、臙脂色の柄シャツ紺色のミモレ丈スカート(穿いてみるとあんまミモレってない)に柑子色ベレーという女学生風コーデ(笑)に、ANNASUIのモチーフのネックレスとバンビの絵がついたピアスをしていったのですが、「馬……鹿……」と言われたのでもうこの組み合わせはしまい!!! 馬鹿すぎる!!

そんなわけで昨日は楽しくて大変よかったのですが、帰宅して冷静になってくると、自分の薄っぺらさに気がついて落ち込みます。なんていうか、わたしには趣味でも勉強でも、究めたものがないのですよね。中途半端に手を出したものは多いけれど、道具を揃えただけで満足してしまうところがあって。求人誌を見ただけでアルバイトをした気になる、というか。
つらくても芽が出なくてもひとつのことを無理無理続けることが必ずしも良いこととは思わないけれど、何も続けられない人よりは力があるんだろうと思う。無理無理でなしに、好きで続けてきたものがあるひとのことは羨ましいし、それを大切にして欲しいと思うし。何の才能もないわたしのような人間は、才能があるひとを支える為にしっかり働きたいのであるが、結局能力がないので、誰にでもできる仕事しかない=薄給、というね。うまくいかねー。

小説や何かには、何の能力もないけれど心根が優しい、という人間が出てきて、ささやかな幸せを得て生きていたりするのだけれど、何もない自分がいざ幸せを得てみると、途端に不安に陥るのです。
自分が他人に対して惚れるポイントが、「尊敬」だからでしょうね。わたしには、他人から尊敬されるところがないので、好かれる要素は無いはずだと思ってしまうわけ。

よく友だちに言われる、「自己肯定感の低さ」とか、「認知の歪み」とかいった単語を調べてみるといろいろ治療法が載っているけれど、それを受ける資格すらないように思える。うーん、だめだなあ。
そして、こうやってひとりでうんうん唸ってねちねちいやらしく考えている姿はやっぱり醜くてどうにも人には好かれまい、と、そう思うのなら治せばいいのに、それすらできずにしゃがみこんでいて、折角、好きだって言ってくれる人が近くにいるのになんだってあんたは。勿体ないよまじで。

そういえば今日は、元フォロワーさんと通話していて、離婚報告をされまして。いや、あのね、わたし、まだ23なんですけど、結婚報告より離婚報告を受けた回数のが圧倒的に多いんですけど、どうなんでしょうね!!!
ときに、セックスレスのご相談なんかも受けますけどね、正直、夫婦生活を営んだことないので判りませんすみません、お話だけはちゃんと聞きます(後学のためにも)。