これで飯野、どうでも飯野。

毒親・女子校育ちの24歳。もうすぐ無職。麦酒を片手に好き勝手書きます。

水野しずちゃんと金木犀の薫りがすきって話

今週のお題「憧れの人」

書きたいことは多々あったが、取り敢えず叫ばせてくれ、

水野しずさま、ミスiDグランプリおめでとおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!


いやあ、いやあ、ほんと、ほんとに。うれぴーですよ。まんもすうれぴー、いや、ダメ絶対、もうなんて言ったらいいかわかんないけどうれしいうれしい、ご本人にお会いしたこともなければ、昔からのファンっていうわけでもないんですけど、強いていうなら母校がSSK(名古屋用語)のS同士(だが違う方のSなので母校は違う)ぐらいの弱い弱い縁なんですけど、彼女の絵をTwitterで初めて見たとき、小中学生の頃の友達を思い出しまして、絵も似ているしセンスも似ているし本人じゃねーの、と思っていたんだけど写真見たらその子より超絶美人だった(友達に超失礼だけど事実だから仕方がない)。

つまり何が言いたいかっていうと、ひとをすきになるきっかけってとっても些細なことで、いつからこういう理由できみを愛するようになって、というのを順序立てて論理的に説明することは不可能に近くて、自分でも気が付かないくらいの心の奥底で少しずつ想い出が積もり、想いが募っていくわけで。
だけど、想いを告げられる側はそこを問い質したくなったりするのも事実で、それを「いつのまにか」だとか「わからない」だとか返されると不安になったりもして。

そういうことを考えているときにね、金木犀の薫りがふわりと風に運ばれてくると、寂しいけれどやさしい気持ちになれる気がするのね。

って、水野しずちゃんから話かなり逸れてるんだけど、うん、いいの、今日はいいの。ともかくわたしは、金木犀の薫るこの季節が一年のなかでいちばんすきだわ。ひとはみんなひとりなんだって思える。みんなそれぞれに、とりとめのない不安のなかで生きていて、それぞれに秋の風を、薫りを、気配を纏っているように見える。
ひとりというのは寂しい意味ばかりではなくて、たとえばここにきみと僕が互いに向かい合っていて、通じ合ってはいるのだけれど、ひとりひとりの輪郭がくっきりしている、というか。
輪郭が判らなくなる程に、ぐずぐずに溶け合うのもいいけれど、くっきりした輪郭同士が、不器用に接点を得ようとするのも、それはそれで良い。

毎年毎年、もう少し待って、と言いたくなるくらいにすぐ冬が来てしまうから、今年こそは少し贅沢な気持ちで、互いの輪郭を確かめあってみたい。

んでもってやっぱり水野しずサイコーです。(話を無理やり戻した)
わたしの憧れ女子遍歴、南条あや戸川純、水野しず、ってなんだか通じるものがあるでしょ。

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

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