これで飯野、どうでも飯野。

毒親・女子校育ちの24歳。もうすぐ無職。麦酒を片手に好き勝手書きます。

飛行士は「星の王子さま」に何を与えたか

こんばんは、飯野です。
朝夕めっきり冷える季節になりましたね。秋の夜長は読書でもいかが。
ということで、今夜は、皆さまよくご存知の『星の王子さま』のお話。

わたしが幼い頃から慣れ親しんだのは内藤濯訳ですが、大学時代に教科書として買った河野万里子訳が手元にあるので、そちらを参考にします。全体的に柔らかい訳であるうえ、カラーの挿絵と文章の配置も素敵です。文庫と思えないクオリティー。さすが新潮文庫

星の王子さま (新潮文庫)

星の王子さま (新潮文庫)

 

今回のテーマは、「飛行士が王子さまに与えたもの」について。
王子さまが飛行士(また、読者である私達)に何を気づかせてくれたか、という点は、よく描かれているし、よく言及されることです。
では、飛行士は一方的に与えられる側であったのか?
飛行士自身が語り手であるために、王子さまがしてくれたことの方に目が向きがちではあるけれど、実際の人間関係において、影響というのは相互的なものではなかろうか。彼らが「友だち」であれば尚更のこと。

実際に、飛行士は、王子さまにいくつか贈り物をしています。

ひとつは、井戸の水。
二人で昼夜歩き続けてやっと見つけた井戸の水を見て、「この水が飲みたかったんだ」という王子さま。この井戸の一件で、ふたりの絆は確たるものになるのです。出発する前日、王子さまは次のように言います。

「きみがぼくに飲ませてくれた水は、音楽みたいだった。滑車が歌って、綱が軋んで……ほら、思い出すでしょ……心にもおいしい水だった」
「ぼくも星空を見るよ。すると星という星がぜんぶ、錆びた滑車のついた井戸になるんだ。星という星がぜんぶ、ぼくに水を飲ませてくれるんだ……」

水の他に、忘れてはならないのは、ヒツジ(が入った木箱の絵)。
王子さまが飛行士の前に現れたときの第一声、「おねがい……ヒツジの絵を描いて!」のリクエストに応えたものです。王子さまはこのヒツジを連れて自分の星に帰ります。王子さまはもう、ヒツジを「飼い慣らす」方法を知っているはずだし、小さな星のなかで、いっしょに生きていく仲間が増えるのです。

飛行士である書き手は、王子さまと別れて6年経った時点で、王子さまとの出会いを書き起こすに至った理由を『彼をわすれないためなのだ。友だちを忘れてしまうのは、悲しいから』と書いています。
王子さまと、星を見てお互いを思い出そうと誓っても、日々の生活に追われて星を見ることさえ忘れる大人になってしまったら、かつての友だちのことを思い出すこともなくなってしまう。
でも、王子さまは大丈夫。だって、ヒツジの世話があるもの。ヒツジを見れば、飛行士のことを思い出すし、井戸の水も、キツネのことも思い出すでしょう。

わたしは『星の王子さま』の続きを考えたことがあって、王子さまは地球で肉体を捨てて自分の星に帰るときに、地球での記憶もすべて失ってしまう。そして、自分とバラとヒツジ(、それから火山)の概念だけで生きていくのではないか、というものなんだけれど、たとえ飛行士の存在が記憶からなくなっても、ヒツジの概念は残っているのだから、やっぱり飛行士がヒツジを贈ったことには意味があるのだと。まあこれは、わたしの妄想だけど。

王子さまに、目に見えるものを贈ったのは飛行士だけなんですよね。
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」というのは有名なフレーズですが、目に見えないいちばんたいせつなことを、思い出させてくれるのは目に見えるものなんだよ。キツネだって言うでしょう、麦畑を見てきみを思い出すって。
記憶って完璧ではないし、いつか忘れてしまうことがたくさんあって、でも、どうしても忘れたくないことは、モノに託す。それは写真であったり、お土産であったり、ブログであったりもする、なーんて。ヒツジは飛行士が王子さまに贈った、地球のお土産だよね。