これで飯野、どうでも飯野。

毒親・女子校育ちの24歳。もうすぐ無職。麦酒を片手に好き勝手書きます。

書く理由

飯野だよ。
やっと、このブログでの通常の改行を覚えました。

この違い。わかる? わからんか。まあいいや。

昔のブログ仲間、どうしてるかなと思って、自分の過去のブログのリンクからいろいろ飛んだけれど、見事にみんな更新停止してた。今時、流行らないか、やっぱり。
ついでに自分の文章読んでみたけど、うーん、今より自然というか、ここ数日の自分は、肩に力入り過ぎというか。まあ、続けて書いていれば着地点を見つけられるでしょう。リハビリだもん。

「今更、どうしてブログをまた書くのか」ということを訊かれて、なんでだろうなあって考えてた。
因みに、5年前の自分は、自分の生きてきた軌跡を残すためだって書いている。
今は、とにかく、自分の人生の再構築のための振り返りというか、整理をつけるために書いてる、否、書こうとしてる。

生きてきた軌跡なんて、わたしの人生はそんな大層なものでもないし、死んだところで、誰かにわたしという存在を覚えておいて欲しいとか、たまには思い出して欲しいとか、全然思わないんだ。昔は今より、自分のことが好きだったのかもしれない。まあ、まだ、将来はバリバリのキャリアウーマンになるんだ! とか思っていた頃だしね。今じゃ、体力も精神力も追いつかない。ああ、その頃はまだ、健康体だったのか。

わたしのこころの中には、親や、兄弟や、過去に出会った異性や、恋人、その他いろんなひとたちへの悲しみや怒りがヘドロのように堆積していて、その上に蓋をしているつもりなんだけど、こころが揺れるたびにそれが少しずつ漏れてくる。漏れてくるとまたこころが揺れる。どんどん漏れてくる。蓋をする。この繰り返し。
でも多分、そのヘドロを掻きだして外に捨てないと、わたしはしあわせになれないんだ。わたしにとって書くということは、その作業の一端。でもきっと、掻きだす作業はとてもつらい。なぜならそれは、自分の弱さを見つめることだから。嫌で嫌で隠していた、自分を誤魔化していた、自分の嫌なところを見なくてはならないから。

とかなんとか綺麗に書いているけど、友人に薦められた『毒になる親』は途中でつらくなって(思い出すことがありすぎて)読むのをやめてしまったし、だめかもしれない。

毒になる親

毒になる親

 

 でも、いつまでもぐずぐず死にたいって思っている大人ってダメな気がする。というか、そんなのわたしがなりたかった大人じゃない、から。