これで飯野、どうでも飯野。

毒親・女子校育ちの24歳。もうすぐ無職。麦酒を片手に好き勝手書きます。

誰にとって都合のいい女なのか

こんばんは、飯野です。

ブログを始めるとやっぱり、twitterよりも楽しいなあという気がします。文字数に縛られず、連投でTLを埋めることを気にせず、思い切り自分の思考に向き合って、腰を据えて書くことができるという環境が。twitterより反応を得にくいのが寂しいですけれど。

 

しかし、前回までの記事は、いかにも「肩に力入ってんぞww」って感じではずかしい。

ああいう記事ばっかり書いていた時代もあったのです。題材から文体からフォント弄りから。しかしああいう記事は読む側だけでなく、書くのも疲れるのね。基本的にわたしは、どんな文章でもプロットや下書きを作らない人間なので、気をつけないと堂々巡りになったり、余分なエピソードを入れがちです。だから、投稿してから推敲することも何度か……客観的に見ないと気が付かないことも多いし。

 

最近は、自分の生き方についてよく考えます。というか、考えてばっかりです。

周囲の人間から、同棲だの婚約だの結婚だの、そういう報告ばかり受けるようになったからかもしれません。仕事にも慣れてきて、将来について考える余裕ができたということもあるかな。

周りが新しく家族を作ろうとしているのに、わたしはまだ、まともに料理もできなくて、そのくせ、おそらく添い遂げることが叶わない男性と共依存的に過ごしている。このままでいいのかなあ、いや、やっぱりだめだよなあ、ってずっと思ってる。思っているだけでは前に進まないから、少しずつ話をしようと試みても、彼は機嫌を悪くする。「また捨てるの?」って、そんな顔で言われたら、どうすればいいのかわからない。

 

わたしは今まで、人の顔色ばっかり見て生きてきました。

母親は些細なことでもすぐ怒って手を上げる人で、怒られるのが怖くて嘘をついてもっと叱られて。グズだののろまだの言われて、だけど間違った答えを選んだら怒られるから必死で考えるんだけど、何が正しいのかわからなくてまた怒られる。謝って謝って、それでも痛みは容赦なくやってきて、ただただ嵐が過ぎ去るのをじっと待つ毎日でした。

家の外では、明るくていつもふざけているキャラクターで通っていたけれど、真面目に誰かと向き合うことが怖かった。自分の意見を通したり、理不尽なことに対して怒ったりすることがとても苦手です。文章にすると、自分の思いのようなものがすらすら出てくるのだけど、本当にこれが自分の気持ちなのかどうかも、自分でわからない。そのくらい、感情を抑圧されて育ってきたのだと思う。

だから、今まで付き合ってきた恋人とも喧嘩をしたことは殆どないし、たまに、自分の言いたいことが湧き上がっても、それを言えたことがありません。「自分の好きなようにしたら」と言われても、自分の気持ちがわからないし、単に突き放されたのかと考えてしまう。

 自分に欲求がないから、わたしを必要としてくれるひとがいるなら、と、相手が望む通りに生きてきたんですよね。相手が感じるしあわせは、自分のしあわせなんだって思って。だから都合のいい女ばっかりをやってきた。

 

でもそれって、相手のことを想っているんだって言えるのかな。自分が、自分の気持ちや考えを掬い上げる努力をしないでいるのに、それをただ美化するために相手を使っているんじゃないのかな。

都合のいい女になるのはとっても簡単だけど、自分の人生に自分で責任をもつことから逃げているだけなんじゃないの、って思うんです。だってこのままいけばわたし、自分の人生のダメさを絶対誰かのせいにするもの。それは、とってもかっこ悪いし、みじめだよね。