これで飯野、どうでも飯野。

毒親・女子校育ちの24歳。もうすぐ無職。麦酒を片手に好き勝手書きます。

バーチャルと現実の狭間で揺れる自意識 2

こんばんは、飯野です。

前回の続きです。

前回の最後で、『バーチャル×現実のやりとりでは齟齬をきたしやすい。これが、叩かれたときの痛みに通じるような気がします』などと、かっこよさげなことを書いてしまいましたが、端的に言えば、

虚構と現実を混同するな!!!

ネット上の人間も、はたまたお店の女の子も、名前を変えて活動している以上、現実世界の自分とは一線を画しているわけです。それを混同して、相手が公表していないプライベートのことを勝手に掲示板に書き殴ったり、公休日にデートに誘うなど以ての外。twitterのツイートだけを読んで、一字一句すべて現実に起きたこと(逆に、書いていないことは一切起こっていないこと)と判断するのも、お店で優しい顔を見せてくれる嬢が、現実でも男性に都合のいい女の子であると盲信するのも、明らかに間違ってる。

 

twitterはリアルタイムで他人と繋がる、という特性から、日常生活が浮き彫りになりがちではあるけれど、新たに自分の名前を設定し、他人(しかも現実に会ったことないような人)に見せるという点で、既に虚構が混ざっているはず。否、虚構に現実を織りまぜているといった方が正しいかもしれません。

ネタツイートに対して、「盛ってるww」といった声を見ることがありますが、他人に発信するコンテンツとして、現実をそのまま描写することが必ずしも良いこととは思わないし、そもそもどうして虚構として受け止められないのか。TVのドキュメンタリー番組ですら、演出が加えられていると皆が知っている(上で消費している)この時代なのに。

 

匿名掲示板では、「バーチャルの人間を、現実世界の土俵に引きずり下ろして叩く」という構図が、匿名によって引き起こされていると感じます。でもその内容は、バーチャルの人格から受ける印象が勝手にひとり歩きしただけの虚構。

叩く側もバーチャルの人間という立場から叩いていれば、現実世界に引きずり下ろすということは起きないはずなんです。それが起きてしまうというのは、叩いている側が生身の人間だから。(本来バーチャルの立場である人間を、生身の人間に戻すのが「匿名」の力です。)でもその生身の人間が、バーチャルの人間を、自分と同じ生身の人間と認識して叩く。これが、前回書いた「齟齬をきたしている状態」。

叩かれている側は、現実の自分と、そこに書かれている「普段演じている自分」とのギャップに苦しみます。現実の自分はそうではないのに。なぜ、バーチャルでの自分を、現実世界の法に照らして裁かれなければならないのだろう。

 

以上が、わたしが最近ずっと考えていたこと。

匿名で人は何故こんなにも攻撃的になるのか。何故、それを読んで悩み落ち込んでしまうのか。叩く側も叩かれる側も、バーチャルと現実での自分をすっぱり切り離して考えられていないからなのか、と。

要するに、叩かれ続けるわたしにできることは、気にしないこと!なのです。あははん。